国鉄からJRに代わって一番嫌だったこと。
それは貨物列車の最後尾から緩急車(車掌車)が無くなったこと。
代わりに付いたのがなんとも不細工な丸い反射板。おてもやんじゃないんだから!と嘆いたものだった。
そんな訳で今日は国鉄時代の最後尾について41年溯って全てノントリミングで。
中坊の後追い写真は1.5テンポ程遅れてバッチリ日の丸であるのは愛嬌。
当時お気に入りの被写体だった通称とびうお号。
鮮魚列車の殿はレムフ10000が締めていた。エアサスなので乗り心地は如何に。
こちらは荷物列車の殿を務めるワサフ8000。
ちょっと判りづらいが車掌室が前寄りに向いている。
それでもちゃんと後部標識灯はあり、反射板なんて軟なものはつけないのが国鉄!
コルゲートの切妻剝き出しなのも潔いゾ。
締めの締めは、当時まだ珍しかったヨ8000。
興奮しての後追いで、無意識に追尾流しで・・・(爆)
国鉄時代は最後尾を後追いしても楽しかったのだった。
1976年5月
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最後尾の美学。
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