昭和に生まれ育った電関人は、旅のプロローグは長くじっくりとしたアプローチが良い。
ところが今や、新幹線で数百キロを一走りで1時間余り目的地へ着くところが大半。
今の人間が待つこと、辛抱することに慣れてないことに大いに因果関係がありそうである。
そんなことはどうでもよく、一時間半走って着いたところは雪国であった(川端さんすいません)
さらにそこからハンドルを握って目的地へ移動。
やって来たのだ米どころ魚沼。
駅近隣のちょうど気動車の背景には、まさに米どころたる大きな大きなJAの倉庫が。
日本でも有数の米どころはこれまた有数の豪雪地帯でもあり。
それでも今年は例年と違った。
なかなか降らなかった雪はちょうど先々週末に帳尻を合わせるようにドカンと降った。
沿線のあちらこちらには堆く積み上げられた捨て雪の山、山、山。
しかし、この雪が無ければ魚沼の美味しいコメは育たないのである。
2017年 1月 越後広瀬~薮神 2423D
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米どころの冬 プロローグ
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