山を下りる二番列車を撮る場所を探してうろうろする。
何せ生活道路しか除雪されていないので自ずと撮影場所は限られるのだ。
そして、沿線国道を2往復したのちに見つけた上条駅近くのポイント。
「吾妻建ち」という白壁に格子状の構造木材が露出する特徴の家々が目立つ地区。
これは砺波平野を中心とした北陸独自の建築方法なのだとか。
察するに北陸からの開拓移民が土着したのかと・・・。
そして越後須原に鎮座する重文目黒邸の目黒家は会津の武士が帰農したとあり、
六十里越を縦走しての福島からの移民なのかと・・・。
さらに現在は廃村となっているが、旧守門には新潟出身者が満州からの復員で開墾に入ったとの記録もあった。
日本でもトップクラスのお米を作る人々のルーツはどうも複雑のようであるが、
厳しい冬を辛抱して良いものを拵えるというDNAは共通して持っているのであろう。
2017年 1月 2423D 上条~越後須原
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米どころの冬 人々のルーツ考
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