蒸機亡き後、DD51一色に染まりつつある山陰本線にあって北のゴーヨンと西のゴマルは孤高の存在だった。
既にゴマルの運用は、浜田までとなっており効率的な撮影には不向きだった。
まだ上り切れない太陽の柔らかい斜光線の中、舞台の袖からそおっと現れるように数量の客車を連れて独特のプロペラ音と共に
冬枯れが残る西線を下って行った。
1977年春 山陰西線 吉見〜福江 DF50527 原版はネガカラー
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印象 山陰最西端のゴマル'77
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