まだ福岡時代の電関人が足繁く通った餘部鉄橋。
その頃は数年暖冬が続き雪の餘部鉄橋はとうとう撮影できずじまい。
雨降りの日は駅にへばりついて待合小屋の窓から鉄橋を狙う。
駅を出てすぐ鉄橋に乗る列車はDD51が力強く紫煙を噴き上げる。
大阪や福知山、京都へとロングランの各駅停車が往来して本線らしい運転体系をなしていた頃。
鈍行汽車旅を楽しむ乗客が鉄橋上からの眺めを楽しむ。
規則正しく鉄橋を通過する列車の轟音は直下の集落の時計代わりであった。
生活本線時代の山陰本線の残像。
1977年12月 山陰本線 餘部~鎧
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餘部鉄橋の残像 紫煙と轟音を残して・・・
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