電関人も辛うじて知る石炭産業時代。
煤だらけの大正蒸機が黒い貨車を連ねて闊歩し、
実家の風呂も石炭炊きだった時代。
その後自身の成長とともに石炭産業は急速に衰退し、
ヤマの街「筑豊」は斜陽の時代を迎える。
空っぽになった広いヤードは、かつての隆盛を物語る。
そのヤードにぽつりと留置されるキハ。
朝夕の通勤通学帯に極端に偏った運行ダイヤになった鉄道線。
貨物も通うことが無くなり、夕方からの運行待ちであろう唯留置されるキハにも寂しく斜陽が注ぐ。
1977年 豊前川崎駅(?)
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斜陽
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