雷雨の夜、高架駅工事真っ盛りの札幌駅から急行利尻に乗車。
すでに渡道後数日過ぎていたのでかなり早いうちに眠りに落ちたようで夜の記憶はそんなに無い。
翌日目が覚めたのは、カンカンとスチーム暖房が入る音だった。
8月9日という夏の真っ盛りに暖房が入る。そうここは日本最北端。
着いた稚内駅の構内があまりに狭く単純なのに意欲をそがれてその日の折り返しの利尻までの計画を練る。
まずは駅周辺の散策だがどうも知識不足で最初に向かったのは駅の背後にある丘の上の稚内公園。
そこからは稚内の港が一望できた。
写真向かって右、防波堤の途中膨らんで見えるのがかつて樺太が日本だった時代にその定期航路が出入港していた稚内桟橋駅の
跡地であり、その後ひと時ここに稚内駅があった時代もあるよう。
今ドームの前広場にC5549号機が展示保存されていたが塩害により数年前に解体されたと聞く。
しばらく稚内公園からの眺めを楽しんでいたら、おそらく礼文・利尻島への連絡船かと思われる客船が朝日で黄金色に染まる
北の果ての海を横切って行った。
宗谷岬の最北端の地へはバス路線があるが、便数が乏しくほとんどその日1日を現地で過ごすはめに。
夏とはいえ北の日暮れは早く、帰りのバスに揺られながら落日を見た。
そのスケールは今までに見た夕暮れとは違う壮大なものだった。
天北線、興浜南北線それに宗谷本線で全く撮影をしなかった北の最果て行は今となってはとても悔いが残ることとなる。
1977年8月9日 稚内にて
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憧れの最北の地 稚内 36年前の渡道記
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