現在は列車密度の緩和から大宰府信号所になっている辺り。
70年代は広大な田園が広がりその農作業用に小さな4種の踏切が鹿児島本線の動脈を横切っていた。
ちょうど朝の下り優等列車のラッシュ時間で、急行由布が朝日を浴びて下って行く。
乗車扉に取り付けられたタブレット防護柵が懐かしい。
1978年3月 鹿児島本線 水城~二日市 キハ58系急行由布
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小さな踏切
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現在は列車密度の緩和から大宰府信号所になっている辺り。
70年代は広大な田園が広がりその農作業用に小さな4種の踏切が鹿児島本線の動脈を横切っていた。
ちょうど朝の下り優等列車のラッシュ時間で、急行由布が朝日を浴びて下って行く。
乗車扉に取り付けられたタブレット防護柵が懐かしい。
1978年3月 鹿児島本線 水城~二日市 キハ58系急行由布