筑豊本線の起点駅である原田。
その歴史は意外と新しく、昭和4年に筑前内野から原田まで延伸されて筑豊本線を名乗るようになった。
その主たる用途はやはり鉄道要衝鳥栖への石炭輸送だったのだろうか。
ヤマが閉山になってからは、優等列車が残るも貨物は全廃されてその列車密度は激減する。
石炭と運命を共にした筑豊本線の起点は、無煙化とともに退廃していった。
そして桂川以北の電化がさらに通称原田線部分の斜陽化に拍車をかける。
石炭産業全盛期の名残ともいえる日に1往復の優等列車が往来するけどとても本線とは思えない夏草生茂る中に頼りなく分け入る線路。
上)1977年10月、下)1976年8月
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原田(はるだ)で撮る3 起点駅
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