そんなにネタガマがどうのこうのは必要としない電関人である。
昨日久々に土曜の工臨が2本撮れるというので狙うことにしたが、そのうち1本が赤いやつ。
だとすれば、レールを積んだ電関人好みのチキ4両の方には久々に青いのがいいなぁっと思いつつ、
でも、なんとなく頭のどこかで案外こっちも赤いやつ?!
そんな予感が・・・。
送り込みを見たら、、、やっぱし。
というわけで、期せずして「レッドアンドレッド」のワンペア完成。
できる事なら、本当に普通のチキ(コキ改造ではなく)と青い機関車の組み合わせを撮りたいもの。
そしてロンチキにもレールをのせてヤードのポイントを渡るグネグネシーンをさらに贅沢言えばDE10(国鉄色)のフルスロットルを
超望遠でぐしゃっと圧縮して・・・(今度やりにいこーっと!)
2013年5月25日 新金線 上)工9863レ、下)工9862レ
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レッドアンドレッド
雨の伊那谷
今から約30年前、飯田線を訪問した際の1枚。
山梨に実家がある先輩のお宅にお邪魔してそこから車で主に飯田線の北側を中心に撮影。
先輩の車の案内での行動で殆ど記憶があやしいのだが、現地に1泊した翌日は雨模様。
梅雨のはしりに入ったこの時期の伊那谷を切り取ってみた1枚。
やがて訪れる梅雨。
今年はどう表現するか!?
1982年5月 飯田線 平岡(?)付近 80系
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静雨の夜明け
5月最後の週が始まるとともに長期予報ではいよいよ週中から梅雨らしい天気になりそう。
じめじめと鬱陶しい季節ではあるが、この時期しか撮れない写真もある。
数年前、夜な夜な隊で何度もマルヨで出かけていた頃の写真。
まだ急行能登が定期列車だった。
朝から音もなく降る静雨でやがて5時というのに辺りは夜が明けきれないでいる。
そんな中、橋梁のトラスを轟音と共に612Mが上っていく。
何枚となく撮り続けた489系ボンネット能登であるが、この列車に対する電関人のイメージはこれが最もしっくりきている。
2009年6月6日 上越線 新町〜神保原 489系 612M 急行能登
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ダイニングカーの話
勤め先で飲み会があり、程好くいい感じであるのでそのつながりで、懐かしいダイニングカーの話。
今でこそ一部の夜行列車に残るのみといっていいほどとなってしまった。
しかし、汽車旅が本来スローライフの最たるものであるのだからその車内で食事をするのは半ば当たり前の行為。
駅中や、駅周りの買い物事情がすこぶる良くなったことを理由にその車内販売も止めた鉄道会社もあるが、
それはナンセンスだと電関人は強く主張したい。
食堂車を利用できた時代にアルコールをいただける年齢には達していなかったが、そこでお酒を煽りながらそして食事をしながら
眺める車窓は格別なものであり、それを極々一部の旅人しか味わえないのはこの国の鉄道旅行を台無しにしているとしか
言いようが無いのである。
サシ481。
この車を種車にしたトワイライトの食堂車もあるが、唯駅弁を食べたり、コンビニのおにぎりを頬張るのとは明らかに違う旅の醍醐味が
其処には圧倒的に存在するのである。
これから新幹線とういう或る意味この国の社会リズムを瓦解させてしまった乗り物のさらなる発達により、
在来線ダイヤがスカスカになった上で、おそらく営業利益至上主義の鉄道会社が色んな列車を新たに走らせると思うが、
是非、このスローライフにおける食事の重要性を再認識して欲しいものである。
1976年6月 鹿児島本線 特急有明
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特急王国近鉄に魅せられて-2- 11400系エースカー
間隔が随分空きましたが、近鉄特急回顧録第2弾でエースカーです。
エースカーの写真は、2枚ほどしかありません。
一枚目は、懐かしい湯の山特急のエースカーです。
写真にはさらに懐かしい大鉄の車両も写っています。きっと鮮魚列車で使用されていたのでしょう。
小さな行き先板が光っていてよくわかりませんが辛うじて湯の山温泉と読めます。
特急サインが古い10400系みたいに古いタイプです。
そしてもう1枚は、鳥羽特急です。
流石にこちらはメインの観光地行きでその編成も長いです。
特急サインも大型のものです。この時期どんどんスナックカーが増強されていてビスタカーとエースカーは少数派になりつつあったようです。
近鉄といえば、電子タイフォンで駅構内ではビービーというバイクのクラクションみたいな音と普通のファーンとなるタイプの2種類あって
それも好きでした。
1977年3月頃 近鉄大阪線 高安駅付近
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九州赤ベコにぞっこん(49) 梅雨時の解結貨物 ED73
昨日関東地方も梅雨入り宣言が出された。
今週末から約1月半、電関人の誕生日くらいまでジメジメと闘いながらもこの時期しか撮れない絵作りに勤しみたい。
中坊から高校自分、電関人は6年間写真部所属。
小生意気にも季節感を演出する写真をどう表現するかを真剣に考えて写真を撮っており特にこの梅雨時の列車は失敗作が
山積み状態。その中から比較的まともなものをピックアップした。
最後尾が雨に煙る解結貨物。
この今は春日駅ができてしまった南福岡〜旧 白木原(現 大野城)間のストレートは、電関人の写真人生の中で電関人ストレートとも
言って良い写真道場の代表格だった。
ホキを先頭にワラ、ワム、トラ等がごちゃ混ぜの典型的な貨物扱い駅を丁寧に回る解結貨物の組成がよく判る。
1976年6月 鹿児島本線 南福岡〜白木原 ED761016 解結貨物
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近鉄 鮮魚列車 車両の話-1-
近鉄で運転されていた珍しい列車に鮮魚列車というのがあった。
宇治山田から上本町まで、鮮魚の行商用に運転された専用電車。
電関人は惜しくもその看板付きの写真が無いけどそれに使われていた旧型車を2種類ほどカメラに収めていた。
その一つが、先日エースカーの記事の写真に少し写っていたもの。
近鉄の前身の一つ参宮急行の2200系に準じてつくられた大阪電軌の1400系のモ1406とモ1411⇒モワ12+モワ15である。
張り上げ屋根が特徴で往年の関西私鉄名車の正統な流れを汲むスタイルが良い。
1977年3月 近鉄大阪線 高安 モワ12モワ15
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役目を終えた者同士。
昨日を持って、地上デジタル放送の電波は東京タワーからの発信を終えた。
今後も在京局の予備塔としての役割を担うが、基本的には東京スカイツリーにその役目をバトンタッチした。
去る2010年2月。
この月を持って東京運用から引退した500系を撮りに行った際の一齣。
今となっては、東京タワーも300系もその役目を終えた者同士。
東京タワーが昭和33年、東海道新幹線が昭和39年に開業。
そして電関人はその間の昭和36年生まれ。
団子っ鼻の0系の正統な流れを汲む300系も今や過去の存在だし、そして昨日東京タワーも電波出しを終えた。
妙に懐かしい風景になってしまったこの写真を眺めながらも昭和36年生まれはこれからも仕事に趣味にまだまだ現役!
2010年2月27日 東海道新幹線 東京〜品川
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E6甲種
今日は久しぶりに甲種ネタをメインにした撮影でした。
メインのE6甲種はマッタリトいただけましたが、久々のネタぞろいとあって各撮影地を転戦しましたが、
最近、あちらこちらで同業の方々のマナーの悪さが様々なトラブルと発展しておりちょっと肩身が狭いお思いをしております。
唯でさえ、公道に三脚を立てたりするわけですからやはりその地域や道路を通行するほかの車、自転車、通行者等に迷惑が掛るのは
宜しくないと思います。
電関人も更に襟を正して本趣味に臨む所存ですのでぜひ皆様も近所迷惑の無いようそして譲り合いの精神第一に楽しい趣味が
ぶち壊しにならぬようにしたいものですね!!
E6甲種をEH200で。これを聞いた瞬間「此処でサイドからやりたい!」と決め打ちでした。
光線も厳しいのでここは敬遠されるかと思いきや、かなりの人が集まっていてビックリ。
罐次位の先頭車のエッジラインがキラッと光ってイメージ通りでした。。
カット違いをトリミングで、後輩の息子さんが学校行事で見られないというのでアップも!コキ50000のような仮台車を履いていました。
朝一(といっても生臭な電関人は早朝の6627は欠席)ヒガハスで集合された皆様、それぞれ思い思いの場所に散ってのE6甲種。
お疲れ様でした。
6月最初の日にE6の甲種とは・・・お後がよろしいようで(笑)
2013年6月1日 武蔵野線 北朝霞付近 EH20022号機 9781レ E6甲種回送
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嗚呼 田端運転所
先日の撮影の帰りに田端運転所に寄ってみて愕然とした。
見慣れた風景だった機関車だまりが無くなっていたのである。
隅田川の駐機設備が完成して、以前には田端〜隅田川で罐の行き来があったのが無くなった。
先日の其処には、数機のDLと休車となっているEF510若番機が居ただけ。
嗚呼 田端運転所。
旅客罐と貨物罐が憩うここを見るのがなんだか童心に帰れて楽しかった。
行き来が激減した構内では、こうした風景も殆ど無くなってしまった。
2009年9月28日 田端運転所
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都電 バラ号
今日は予報では雨でしたが、ふたを開けたら薄曇りから晴れに・・・。
前からこの雨を利用して紫陽花を撮りに都電に出かけようと予定していたので天気は違ったけど朝から出掛けた。
ついでといったら失礼だが、今日までのバラ号も撮れるし・・・。
濃いピンクの額紫陽花と一緒に9001のバラ号を。
今年も雨降りの紫陽花は残念ながら撮れずか?!
2013年6月2日 都電荒川線 9001バラ号と額紫陽花。
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’78年夏の大宮駅 クハ489あさま
高校2年夏の関東遠征では、懐浪漫人さんに大変お世話になった。
この日も彼方此方と連れて行ってもらっていたようであるが、新幹線開業前の大宮駅は東北本線・上信越方面の優等列車が
頻繁に発着していてまさに鉄道銀座。
そんな中、今でも強い印象に残っているのは既に181系の運用はときに残るのみであずさ、あさまは183系、189系に
バトンがわたっておりそのボンネットの凛々しい姿は見れなかったのであるが、唯一あさまには間合いの運用で489系が使われており、
嬉しくもボンネットの大型サインをかざす姿をカメラに収める事が。
かつての主要駅には必ずあった台車用のゴンドラ(テルファ)が写っていて懐かしい。
ホームには、軽井沢からの避暑帰りだろうか優雅な姿の乗客が降り立つ。
もちろん上野方には、EF63連結用にカバーを外した連結器とジャンパ栓が備わる。
この頃のあさまのサインには大きく2タイプあって、文字の書体と大きさが異なった。
信号設備や、架線柱も古くていい感じである。
判りづらいが画面右奥には大宮の貨物操作場が拡がっていた。
左上の「キャバレー ハリウッド」のネオンも時代を象徴するもの。
1978年8月9日 大宮駅 489系あさま
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都電散歩 柵の中の紫陽花
日曜日に、都電散歩をしてきたので何度かに分けてアップすることに。
この時期の都電沿線は様々な花が咲いていて撮影題材には事欠かない。
第1回目は(といっても一昨日一枚アップしたが)この時期の代表的な花紫陽花。
最近の都電荒川線沿線は、鬼子母神前から向原にかけて再開発が進み昔ながらの風景が無くなりつつある。
そんな沿線で再開発のために柵で囲われた土地にまるで忘れ物かのようにひと株の紫陽花。
その向こうには、木造のアパート。だんだん無くなりつつある昭和の風景が広がる。
2013年6月2日 都電荒川線 東池袋四丁目〜向原
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都電散歩 立葵と王電の名残
今日も都電散歩。
電関人が結構気に入っている区間の巣鴨新田〜庚申塚。
グラウンドの塀伝いに花壇があって立葵が満開だった。
車内からのロケハン時にはああやこうやとアングルを考えたものの実際に現地に立つとこれがまた難しい。
王電時代から、この線の歴史を見てきた架線柱を入れて。
夏空にすっくと真っ直ぐ伸びる立葵の潔さが好きだ。
2013年6月2日 都電荒川線 8502 巣鴨新田〜庚申塚
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都電散歩 サツキと8802
今晩飲み会があるので朝アップで。
おそらく咲く時期が遅いのでサツキ躑躅ではないかと・・・。
ちょうどタイミング良く、同じ色の顔をした8802がやってきた。
オーソドックスだが、好きな組み合わせ。
2013年6月2日 都電荒川線 面影橋〜学習院下 8802
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都電散歩 薔薇と石楠花
荒川線の王子駅前から三ノ輪橋にかけての沿線は薔薇が多くみられる。
紫陽花や躑躅が和風であるのに比べると、鉄道発祥の国である英国王室の花でもある薔薇との組み合わせに、
なんだか都電も欧風に見えてくる。
学校の校庭沿いに真紅の薔薇が咲き誇り、その上にはちょうど石楠花も花の盛りを迎えていた。
2013年6月2日 都電荒川線 7026 荒川一中前〜荒川区役所前
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出区仕度
走るホテルの名を欲しい儘にした20系、その代表はやはりあさかぜ。
そこに詰まった旅情や夜行列車に対する特別な憧れは残念ながらE26系のそれを未だ遥かに凌駕している。
毎日、その1000キロに及ぶ旅の始まりの前に行われた厳かな儀式。
丁寧に車体を洗われ、
カレッジがテールサインの確認から始めて1両、1両点検して歩く。
出区前の仕度。
1977年10月、12月撮影 竹下客車区 20系あさかぜ
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ゴハチの紳士録 特別編 最北の最若番機10号機と121レ
1978年夏の関東撮影旅行の際に一番うれしかったできごと。
ゴハチの塒としては長岡と共に北辺部に存在した宇都宮区に存在した北辺の最若番機10号機の元気な姿に逢えたこと。
65号機と共に電暖改造を受けないままその人生を全うした。
このため、夏などの暖房を使用しない時期に限って客レの先頭に立ちまさに78年8月12日の121レの運用に就いた。
長い客レは罐の停車位置がおおよそホームから前にはみ出しており、順光側から撮れなかったのが心残りではある。
我々が乗車した121レ罐次位には、当時の名物スハフ32がついていてその車内から栄光の罐番部分をパチリ。
50.3改正により山陽路でブルトレ牽引等に従事した広島の僚機と共に10両が宇都宮に転属した。
シル・ヘッダーに並ぶリベットとズラリ並ぶ小窓の古豪スハフ32からするとEF58は若輩者といったところ。
EG改造の証であるパイロットランプが無いすっきりした乗務員扉回り。
氏家での長い退避停車時間を利用して10号機の各部の撮影を楽しんだ。
そして、電関人が今も気に入っている1枚。
一部のゴナナファンからはEF57を淘汰するために遠路広島からやってきた嫌われものだったけど、
狂電関人の名前の源にもなっているEF58が優等列車牽引など最後の栄華を極めた東北本線で404レ津軽2号との邂逅シーン。
残念ながらこの後殆ど稼働することなく、翌1979年12月に廃車解体された。
EF58 FOREVER!
1978年8月12日 東北本線 氏家駅 EF5810号機 121レ
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最後の急客専用機 EF65501
EF510500番代をどう解釈するかは難しいところではありますが、
純粋にP型として開発設計されたということでは、このEF65Pより後に急客専用機は製造されていない。
先日の田端公開に合わせて貸し出しがあり、その返却回送を撮影できました。
もう一度、燦然と輝くHMをかざし寝台車を引く姿を見たいもの。
2013年6月1日 東北本線 赤羽~浦和 EF65501号機 単9823レ
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九州赤ベコにぞっこん(50) SG設備を撤去したED72
50.3改正によって本州連絡急行から旧客が撤退し、ED72のSG使用は終了した。
同時に九州内の電機の限定運用は、20系客車と旧客鈍行・荷物列車それに10000系特急貨物列車を除き解消。
記憶が定かではないが、77年ごろから一部のED72でSG用ボイラー、水タンク、燃料タンクを撤去し死重を搭載した罐が現れた。
77年10月に撮影の18号機。既に従台車前後の水タンクや燃料タンクが見えない。
20系時代には、ED731000番代限定運用だった10レあさかぜも24系25型100番代に置き換え後ED72による運用となった。
19号機の足回りも、燃料、水それぞれのタンクが撤去されて隙っ歯みたいでカッコ悪くなってしまった。79年3月
上)1977年10月30日 鹿児島本線 原田駅 ED7218号機 33レ 下)1979年3月 鹿児島本線 竹下駅付近 ED7219号機 10レ
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