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Channel: 狂電関人の写真庫
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みかん色の電車を訪ねて 木の温もりと石畳の優しさ

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路面電車の醍醐味というか、これぞという良さが残っていた伊予鉄。

全国にいくつか残っている路面電車だが、石畳はどれくらい残っているのだろうか?



みかん色の路面電車に似つかわしく、赤茶けた石畳が妙に優しく感じられる。
幾何学的に組み合わされたそのパターンもとても印象的だ。



そして車内に目を遣ると板張りの床に、ニス塗りの壁材。
降車を知らせる釦もチンと鳴る丸いやつ。

この木の温もりを持つ電車には物凄く久しぶりに乗った気がする。


みかん色の電車には魅力という甘味がたっぷり詰まっていた。


2013年7月13日 伊予鉄道市内線
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九州赤ベコにぞっこん(52) 梅雨明け前の重連解結貨物

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このところ最近ネタが続いたので小休止にぞっこんシリーズを!

この梅雨は早く明けたが、例年だと電関人の誕生日(7/16)に明けているかどうかだ。

そんな夏至近くの15時半過ぎでも、雨天の日には露出が稼げず高速シャッターも切れない。

それでも重連の迫力に迫りたく腕も無き少年電関人は画面いっぱいに狙うが、ビビって早切り(沈)



この日の重連定番解結貨は珍しくED72とED75の組み合わせ。

最も好きだった組み合わせである。


1976年6月 鹿児島本線 白木原(現大野城)〜南福岡 ED7218+ED75機番不明
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みかん色の電車探訪 軌道の話

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伊予鉄道市内線は、JRと同じ1,067?の軌道である。

軌道をじっくり観察するために一旦JR松山駅に出てそこから環状線を時計回りで探訪。

JR松山駅を出て暫くすると線路は単線の専用軌道になる。



駅はすべて交換可能になっており、今となっては大分珍しくなってきたスプリング式ポイントが見れる。

城北線の平和通一丁目で再び路面区間に出て複線となる。



ここにも路面タイプのスプリングポイントが使われている。

そしてさらに行くと、道後温泉から来た城南線と合流。



そして、沿線最大の繁華街である大街道を過ぎて今も残る松山城のお堀沿いに出て、南堀端の先で軌道線の松山市駅に向かう花園線が
分岐する。



そして、西堀端で本町線が分岐してその先大手町で軌道線との平面クロスがある。



こんな賑やかな路線体系を持つ伊予鉄市内線には1日中乗っていても飽きる事がない。


今回乗りつぶせなかった、市内線の本町線や花園線それに軌道線にまた乗りに訪れたい伊予鉄である。

2013年7月13日 伊予鉄市内線
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坊っちゃん列車に揺られて

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まあ乗れたらということで出発した伊予鉄巡りで、なんとか坊っちゃん列車に乗車。

県庁前で撮影していたら件の列車が現れた。



道後温泉で確認したら、結構運休が多かったので乗れたら乗れたで良いと思っていた。

駅の方に向かったということは、返しがあるなぁ・・・。

でも全駅止まらないし・・・。



と考えていたら、早速折り返しの列車が来た。さらに通常の路面電車が続行。

その続行電車で大街道まで行き、坊っちゃん列車に乗り換え。



はたして、幸運にもたった1両の坊っちゃん列車に乗車し道後温泉まで。

懐かしいガマ口下げた車掌さんが沿線観光案内。

窓を全開にした坊っちゃん列車で暫しタイムスリップ。



終点の道後温泉の留置線で名物の機関車転車シーンを。

自前のジャッキでくるりと方向転換終了。



現在復刻坊っちゃん列車として活躍するのは1号機とこの14号機。

14号機は(イヨ鉄)ということでこのナンバー。

短いながらも楽しい列車の旅を満喫。


2013年7月13日 伊予鉄市内線 坊っちゃん列車
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2121に始まり2121に終わる。 7/20撮影記

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きょうもいつもの相棒と埼玉県内の撮影地を彼方此方ウロウロしていました。

朝一は、ヒガハスの8179レに始まり・・・



下り定番に、農家のおじさんが丹精した古代ハスを入れて原色機2121号機の牽くタンカートレイン8179レ。
ここを皮切りに、桶川〜北本によって群馬藤岡〜丹荘、オカポン、ジンボシンと巡り、
最後は帰路の駄賃にワシクリに寄道。



沈みゆく夏の夕陽を題材に暫し撮影して、締め括りに3058レ。
なんと朝一の原色機2121号機が現れ、ちょっと贅沢な原色機のシルエット。


2013年7月20日 上/東北本線 東大宮〜蓮田 EF652121号機 8179レ、下/東北本線 栗橋〜東鷲宮 EF652121号機 3058レ
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DD訓練 2200PSの唸り

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久々に行われたDD51訓練運転。

しかも旧型客車5両をDD51がPPで非電化区間の八高線を走るというので多くのファンが押しかけた。

朝一ヒガハスでご一緒させていただいた方々も思い思いの撮影地目指して沿線に散らばった。

電関人としては、DML61Zの唸りがテーマ。

RDP3さんと悩んだ挙句、鉄橋から立ち上がって来る群馬藤岡と丹荘の間に向かうことにした。

が、到着すると様子が変でなんと沿線で大規模の工事が行われて撮影ポイントが限定される羽目になっていた。

踏切の脇に脚立のスペースを見つけてそこに陣取り、600?を構える。



イメージしたのと、600?では役不足だが鉄橋手前から幾度となくシャッターを切り続ける。

一番奥のDDはやや弱いものの陽炎に巻かれて良い感じ。

そして、訓練ならばとキャブの訓練生を・・・



ぞろ目の罐が「もっと吹かせ」と言わんばかりだが、ややおっかなびっくり!?

さらに振り向きざまに、警報機越しで・・・



後補機が「さーてそろそろサミットだぞ!」と荒っぽい助言で。


それなりに満足の訓練運転往路だった。
ヒガハスや八高線現地でご一緒した皆様お疲れ様でした。

2013年7月20日 八高線 群馬藤岡〜丹荘 DD51888+旧客5両+DD51895 試9220レ
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蓮田で見つけたチョウトンボ

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15日の朝練の際、蓮田で鉄道との絡ませ方を思案しているとヒラヒラ飛ぶ黒っぽいトンボを発見。

普通のトンボと違うのは2点。

後ろの羽根の方が大きいこととその4枚の羽根をヒラヒラト動かして飛ぶ様子。

蓮の葉にとまってのをよく観察すると、黒というより濃紺のメタリックで羽根の透き通った部分は虹色に輝く。



なんだか宮崎駿の漫画に出てきた爆撃機を思い出す。

そう言えば今度の宮崎映画、氏は根っからの飛行機チャンだから見るのが楽しみだ!


2013年7月15日 蓮田の蓮田にて(爆)

発車までのひととき

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時はまさにEF58が山陽路のブルトレから撤退した1979年の7月。

夜に1往復設定されていた宇部線のゲタ電運用。

折り返しの発車まで人影が少なくなった更けゆく下関の構内に佇む。

運転手の所在なさがこの電車が活躍してきた悠久の時間を示す車体の凸凹と相まって、

昭和の国鉄を醸す。



1979年7月 山陽本線 下関駅 クモハ51
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足長おじさんの肖像 ED383

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阪和鉄道のロコ1000形として作られた機関車。

窓の上部のアールに、モタ、クヨといった阪和の名車達の名残があり、

「矍鑠」という表現がまさに当てはまる罐。

電関人が出逢ったこの年既に製造47年が経過していた。



できる事ならば、コイツの走行写真をカメラに収めたかったのだが、

この日のあまりの暑さに熊谷経由で退散してしまった。

悔いの残る足長おじさんとの初対面。


1978年8月9日 秩父鉄道 秩父 ED383号機
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旧客急行列車の想い出

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旧客による急行列車の想い出と言っても、その大半は目に焼き付け。

冷水越えの天草や本線の桜島、阿蘇、五島、雲仙など・・・。

それは、50年3月改正で一挙に消えてしまった。

それでも本州連絡では、山陰本線に入るさんべや九州島内急行の日南、かいもんに残った。

唯一、いわゆるゴーマルサン以前に訪れた下関でゴハチの雄姿は撮れなかったものの、



ハーフサイズのややピンアマのボロボロ写真だが、南福岡4:46の始発で着いてすぐ既に山陽本務機は解放されて、関門本務機の
新鋭EF81301号機が付けられた直後の215レ急行つくし2号博多行である。
オハネフ12、オロネ10・・・スハ44といった旧客車両オールスターズの編成が少しだけ見えている電関人が撮った旧客急行帝国時代の1枚。


1974年?月 山陽本線下関駅4番線 EF81301号機 215レ つくし2号
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夜汽車の旅愁 101レかいもん4号

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1980年春、大学浪人確定の後電化間際の日豊南線にDF50を追って旅をする。

南九州周遊券を使い、行きは小倉回りで501レ日南4号を利用。

写真こそ無いが乗車の1号車は、合造車の青いオハニ36だったことを記憶している。

それはさておき、日南乗車までの間門司駅に足を延ばし暫し夜汽車の撮影を楽しむ。



この当時、九州島内にはかいもんと日南の1往復ずつとながさき号の3本の旧客使用の夜汽車の設定があった。

3列車とも下りは門司港始発であるが、実質乗客は小倉以降の乗車が主でここ門司ではまだ殆ど空席のまま。

電車やディーゼルとも違い、さらに電源車などもない旧客による列車は停車中何の音も発しない。

夜更けの宵闇が辺りを支配する中、照明の下人影も無く静寂に佇む101レかいもん。

一夜の旅が静かに始まる。


1980年3月 鹿児島本線門司駅 101レかいもん4号
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開通 ブログ再開 EF65501払暁の回走

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ようやくブログ再開です。

約10日の抑止が解除されて今日から回復運転。

このハレの日に相応しい画像ということで、先日の高崎線130周年記念9734レの回送列車。



むしろHM無しで上ったばかりの弱い朝日に照らされるその姿は、まるで昔走った100円引きの臨時特急しおじ51号そのもの。


2013年7月28日 回9734レ EF65501+12系6両 高崎線 本庄〜岡部
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ロクロク原色舞う 新鶴見界隈初見参 

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タイトル通り、電関人の空白地帯だった新鶴見界隈へ初めて出かけてみた。

この日は、E6系の甲種回送があり前回EH200牽引の姿をおさえたので今回は新鶴見までのEF65PFを撮るためだった。

そしてこの日、嬉しくも5093レにロクロク27号機が入った。



できれば、30ft の私有コンテナを連ねたフレトラを金谷あたりの茶畑バックにこの27号機の雄姿を捉えてみたい。


2013年7月27日 東海道貨物線 新鶴見〜鶴見 EF6627号機 5093レ
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雑客急行 102レかいもん4号 二題

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今でこそ旧客なんて呼び方をしているが、当時は専ら雑客(雑型)と呼んでいた10系、30系、40系ごった煮の編成列車。

その中でも電関人は10系寝台に惹かれたもので数多くの写真が手元に残る。

さらにその中でも地元鹿児島本線を駆け抜けた急行かいもんが最もお馴染み。



ちょっと野暮ったいスハネ16とやや垢抜けたオハネ12は甲乙つけがたいところ。

5:40に博多に到着する102レの降車準備が始まったころの様子を流し撮り。

意外とビジネスユースが多いような客層が窺える。まだまだ夜行列車での移動が主流だった時代の記録。

そしてもう一枚。

全国の車両に常備されていたのかは不明だが殊九州にあってはその威力を発揮したであろう網戸。



優等列車に見合った細やかな心遣いが国鉄時代の職人気質を感じさせてくれた。

新幹線網がここまで発達し、やがてリニアが走り出そうとする現代において汽車旅風情は完全に消滅しようとしている。

唯々豪華な車両でクルーズするだけが汽車旅なのであろうか?そんなことを最近考えさせられる。

のぞき見主義01 1977年の下関運転所

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また新しい企画で、走行中の列車内から普段見えない場所をカメラウォッチング。

栄えある第1回目は、下関運転所。



このころまだ場内には、大きな給炭塔が残り山陰本線蒸機の名残が色濃く残る。
まさにその給炭塔あたりが急客機のたまり場で荷物列車や東海道、山陽の優等列車の牽引機が犇めく。
お目当ては言わずと知れたゴハチでまだ東京ブルが下って来る前の時間にウォッチングを実施。
この日は、米原区の113号機画面右ともう一機の米原機が居た。番号こそわからないが窓を見ると米原機特有のワイパーカバーが見えて
自ずと米原機であることが判明する。また米原機は広島機と違って美しい罐が多く急客機の威厳を保っていた。
前哨灯のケーシングの違いなど細かな点がわかる楽しい下関区のウォッチングは、また機会を見て何度かアップ予定。


1977年2月11日 下関運転所 山陽本線列車内から
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特急王国近鉄に魅せられて -3- 12000系・12200系スナックカー

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今も15200系 あおぞら?や15400系として活躍し続ける名車近鉄スナックカー。

実は電関人が最初にはまった近鉄特急車両はこのスナックカーでした。



おそらく1976年撮影だと思いますがスナックカー2×2+ビスタC3連の堂々7連の上本町行特急。
いろいろ探したのですがスナック付の12000系写真はこれだけだと。
窓無しのエンブレムが入った編成と、そのあと大窓がついたタイプの両方が繋がっています。
小さなカウンターがあって飲み物や文字通りスナックや軽食を扱っており、特急としての貫禄十分。



こちらは、最近無くなった名物名阪ノンストップ運用に就く12200系4連。
高安駅構内の複雑なポイントを高速で駆け抜けるノンストップはまるで新幹線にも喧嘩を売っているよう。



貫通幌を折り畳み4枚扉で隠し、そのセンターに燦然と輝く特急シンボルマーク。
電関人は世代柄羽根のついたマークが好きです。そして前照灯を埋め込みケーシング処理。
後年のシンボルマーク位置への種別・行先集約回転幕時代より断然こちらの時代が好きです。
標識灯4つと後部標識灯2つがなんだか当時の外車のイメージでこのオーセンティックな全面デザインはある意味
国鉄のキハ82に通じるものを感じました。

1976年・77年撮影 近鉄大阪線 高安駅
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祭の提灯 都電の下町風情を探して

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タイトル通り、先日鉄ちゃん仲間飲み会の際に見つけた大塚阿波踊りの提灯。

季節感を求める都電スケッチにもってつけと今日そのロケに行ってきた。



しかしいざカメラアングルを探し出すとこれが一筋縄でいかない。
最初にオーソドックスアングルを暮れる前に押さえ、その後いろいろとアングルを探す。
提灯の取り付け位置も結構高い場所で、脚立がないのは敗因。



大塚駅前の変則的な線形を利用して何とかいろいろと提灯アングルにチャレンジ。
駅前なので、車の処理が難しい。



やがて日没後、残照がいい感じでこれを仕留めるアングルを探してのショット。様々な光源があって残照との組み合わせは難しい。

まだまだ課題が残る大塚阿波踊りの提灯。本番は24日で1000人の踊り子が練り歩くとのこと。


2013年8月10日 都電荒川線大塚駅前
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残暑お見舞い申し上げます。

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今年の関東は、立秋を過ぎてから気温がうなぎのぼり。

この週末はさすがの電関人も元気に活動という訳にいかずおとなしく家で過ごしております。



昨年2月に、定期列車の日本海を追って近畿エリアまで遠征した際の1カット。

名勝山崎にて4071レ待ちをしていた時に、後ろから遅8002レに不意を突かれ。

折からの小雪が舞う中で薄日が差してとてもロマンティックなシーンをいただけました。

まだまだ残暑が厳しいこの夏、撮り鉄の皆様におかれましては十二分に気を付けて活動しましょう。


2012年2月17日 東海道本線 島本〜山崎 遅8002レとEF51019号機 4071レ

止水共鳴 筑豊本線原田発車

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鹿児島本線から筑豊本線が分岐する原田(はるだ)駅。

当時、その広い構内にC55やD60、D51などのつわものたちが屯った名残が色濃く残り、

その雰囲気が好きで撮影によく通った。



晩秋の早朝、傍らにある止水の水面を震わせながらDD51牽引の各駅停車が駅を後にしていく。

駅を出るとやがて古戦場の冷水峠が迫りくる。


1978年12月(?) 筑豊本線 原田〜筑前山家 730レ
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両雄並び立つ 

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1980年初頭の秋に行われた、敦賀第二機関区公開の1枚。

赤とローズピンクの北陸本線の両雄が美しいヘッドマークも誇らしげに並んだ。



この罐たちが、まさにこのヘッドマークを掲げて20系を牽く雄姿をカメラに収めたかった。

まさかこれらのF級機が九州路を闊歩することになろうことをこの時点では想像だにしなかった。


1982年秋(?) 敦賀第二機関区 EF701002 EF811(4?)
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