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Channel: 狂電関人の写真庫
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9レあさかぜ 下関発車

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東京から1100?という距離を走り今本州西の端下関に到着した9レ。

1100キロの旅の相方EF65541から関門専用機にバトンが渡り、乗務員もここで交代。

やや長めの停車時間を利用して3・4番線の立ち食いうどん屋、弁当売りは大忙し。

やがて発車ベルが鳴り響きホームに散らばっていた乗客は足早に列車へ戻る。

さあ、関門の海底トンネルを抜けると終着博多はもうすぐ。

車掌の白い夏服が20系の青と織りなすコントラストは今も脳裏に新鮮に結像している。

36年前の夏の記憶。



1977年7月 山陽本線下関駅4番線 20系 9レあさかぜ1号
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感動の落日 36年前の渡道の記憶?

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そう、今から36年前の高校1年の夏休みに九州は福岡からはるか北を目指して旅に出た。

本当は1人の気ままな旅になるはずだったが連れを伴うことになりやや不自由な旅で鉄分もやや低めの内容に。

そんな旅を順不同にこの夏トレースしてアップしてみることにした。

その第1回目は、タイトル通りオホーツクに沈む太陽に感動した日の行動記。



おぼろげな記憶によると、前日広尾線の旅から原生花園YHに入りその翌日。
すがすがしい朝を迎え、YHで最年少の二人は凍りつきそうな冷たい水で食器洗いの手伝いを済ませ散歩に出る。
YHから少し歩くと広大な涛沸湖の湖面が現れこの湖沿いにしばらく散策したのち朝食時間になるのでYHに。
早々に朝食を済ませて少し早目に北浜駅へ向かう。



この日は、標津線に行きたかった電関人だがおのぼり気分の友人にせがまれたのと前日YHに同宿したみんなからも摩周湖を進められ、
北浜でこの客レを1本撮影したのち急行で弟子屈へ。



この時代、北浜から摩周湖観光は路線バスの乗り継ぎもよろしくなく1日仕事。
折り返しのバスまで、何枚となく美しい摩周湖を撮影する。
電関人としては霧の摩周湖なんて思っていたのだが実は霧が出るほうが少ないとのこと。



戻ってきた弟子屈で夕方の網走行ミキストに乗車。
この日の上り大雪5号に網走から乗車予定である。
車窓はだんだんとこれ色に染まり、オホーツク沿岸に出るころにはちょうど日没を迎えた。



ほとんど釧網本線の乗り鉄三昧だったこの日の最大の収穫は、このオホーツクに沈む夕日を拝めたことであった。


1977年8月 

夏空に青い海にスーパービュー踊り子

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ここ石橋橋梁に出向く際には、タイトルのようなテーマがあった。

しかし、今年の夏は暑いには暑いが空が今一つ夏らしくない。



この日も暑さはあるものの空の雲が夏よりも秋に近い空だった。

これで入道雲がでりゃ完璧だったのだが・・・。

また夏休みの宿題が残った気持ち。


2013年8月3日 3002M スーパービュー踊り子2号
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EF15 大宮通過

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たった3年間の高校生活で1年の夏は北海道に遠征し、2年の夏高校最後の遠征として選んだ関東遠征。

懐浪漫人さんのうちにお世話になりながら水上に行く晩大宮で夜間撮影を少し。

まだ長岡のEF58やEF15が元気だった時代。



通勤の喧騒を解かれつつある夜の大宮駅を長岡の63号機が上り貨物を牽いて通過してゆく。

この写真だけでなく、78年の関東遠征で出会った数々の国鉄型車両たちは今となってはどれも貴重なもの。


1978年8月9日 大宮駅 EF1563号機 貨物 列番不明
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鮮魚列車 レムフ10000

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高速貨物ゆえ普通の緩急車が使えずに、コキ10000を改造して作られたレムフ10000であることを知ったのはずいぶんと後のこと。

それでもエアサスだったからずいぶんと乗り心地は良かっただろうか?しかもトイレ付。



冷蔵車と隣り合わせだったから涼しかったかどうかは知らないが、今日も1日暑かったので少しばかりでも涼しい画像を捜し、

鮮魚列車トビウオのあとうち写真をアップ!

一度乗ってみたかった車両だった。


1977年5月 鹿児島本線 水城〜白木原(現 大野城) 5050(?)レとびうお
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二夜連続野宿の試練 36年前渡道の記録 

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もうすでに記憶があやふやのところもあるけど、渡道して数日目道央から道東を旅する。

朝白老YHを出て札幌からDC急行で帯広に出てそこから広尾線で幸福駅へ向かうがすでに夕方であった。

さっそく駅前にて渡道後最初の野営のためテントを張る。

何せ高校1年坊主が福岡くんだりからはるばるの旅で満足な軍資金も無く、塒は専ら夜行列車の自由席かYHが関の山。

それでもカツカツに切り詰めるために数泊駅もしくは野営ということにしたのである。

テントを張って途中帯広駅や幸福駅前の土産屋で買い込んだパンなどで簡単な食事を済ませるとすぐにあたりは宵闇に包まれた。



一応超有名駅かつ観光地の幸福駅で夜間撮影を楽しむ。
時代を感じさせるオーバーオールの大学生諸兄に「駅舎ホテル」は占領されて背負子やシュラフが所狭しと置かれた幸福駅本屋。
使用済みの定期や社会人の名刺などがぎっしりとおみくじ状態で壁や天井を埋め尽くす。



バルブにして、人影を消して駅の全景を収める。
確か右の明かりは、幸せの泉とかで一杯飲むと願いが叶うとかなんとかいう能書きが書いてあったが今となっては思い出せず。



で、翌朝しっかり駅の形式写真を・・・。
どこかのフィルム会社のイメージカットとほぼ同じアングル。

写真を見てお分かりのように天気はいまいちで、野営撤収の後早々にこの日の行動に移る。
この日は、道東の厚岸まで移動しやはり野営。
行く先の天候を心配しながら移動。



厚岸に到着した時は今にも降りそうな天気だったので、早々に天場を確保して設営。
道東の夕暮れは早く翌日晴れることのみを祈る。
天場から遥か厚岸大橋方面を望むが星も見えず2夜連続の野営に少しホームシックのような不安感がよぎる。
時刻表を見ていると急行列車がやってくる時間だったので駅まで行ってバルブ撮影で気持ちを立て直す。



発車して駅を離れ行く列車をカンテラを持った駅員がいつまでも見送る姿にちょっと勇気づけられて、天場に戻り早めの就寝。
翌朝テントを強くたたく雨の音で間が覚めるがまだ4時前。びしょびしょで重くなった帆布のテントを強引に袋に収めて駅に向かう。



この日厚岸からさらに東に向かい湿原地帯で鉄を予定していたが雨のため予定変更し、早々に釧網本線にでてこの日の宿である
原生花園YHへ向かうことにして始発列車で東釧路へ。
途中、どこの駅だかは記憶していないが列車待ち合わせの停車中に憎い雨を利用したカットを撮る。
そのまま釧網本線を乗り鉄して時間をつぶし、夕方早目にYHに入って先日の釧網本線の夕陽の話がその翌日に続くのである。
こうして、この北海道旅行中の最大の試練だったテント2連泊を凌いだ。当時コンビニもない時代に何を食べたのかは全く記憶になく、
相当粗食や駅弁・駅そばで食いつないだのだと思う。


1977年8月 広尾線〜根室本線の旅




特急 鷗の幻影 ナハ11

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ナハ11の2を1976年5月に鳥栖で見つけた。

色こそ一般の青になっているが、きっと番号から客車特急 鷗の第一編成か第二編成に組み込まれていた車両。

と思った瞬間、見たことがない茶色のゴハチに牽かれた特急鷗が頭の中で走り去った。



10系の美しい茶色の編成の本物を見てみたかった電関人。

鳥栖で鷗号の幻影を見た。


1976年5月6日 鹿児島本線鳥栖駅構内 ナハ11 2
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ちょい鉄のはずが・・・ 8/18撮影記

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本当は午前中に東武8111Fの送り込みと営業運転をサクッとやって午後はかえって考える予定が、

その撮影地で知り合いのSさんに偶然出会い、そのままご一緒させていただき夕方の工臨までたっぷり鉄に。



いつもヒガハスに行く際に通過するところにこんないい場所が眠っていました。
学生時代、何かと東武東上線にはお世話になりすでにアイボリー一色だったけどこの派手な塗装をカメラに収めておきたく、
撮影ポイントを物色したら近場にこんな緑濃い場所が。
青田とオレンジ&ベージュのツートンが絶妙なコントラストを織りなす。

その後空いた時間をファミレスで涼をとりながらゆっくりランチして、常磐線に転戦。
どうせならということで、お立ち台で5388レを。
運休が多かったせいで久々の安中貨物は新鮮。



そして本日2つ目のメイン。



これまたお立ち台で夏のやや傾いた光線をたっぷりとサイドに浴びながらイメージ通りの長い工臨がいただけた。

同行させていただきましたSさんありがとうございました。そして各撮影地でご一緒させていただいた皆様お疲れ様でした。



2013年8月18日 上)東武野田線 七里〜岩槻 臨5091A 中・下)常磐線 牛久〜佐貫 EH50064 5388レ、EF8195 工6383レ
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ロクニの時代 神流川旧橋梁

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今も人気撮影地のジンボシンこと神保原〜新町。

電関人が上京したての頃はアンダーガータのシンプルな鉄橋で寝台列車など長い編成も乗るので人気が高かった。

その現在の撮影ポイントの鉄橋の神保原側。

当時、ゴハチとこのロクニが主な被写体だった。

越前はアップで撮りたかったのでその線路端に構えることにしてセッティング中に後ろから不意を突かれた1枚。



アングルもなにもないのだが、ロクニ15号機牽引の当時は珍しかったタキの専貨。
ロクニが間合い運用なのか、まさかこのまま碓氷峠は超えてなかっただろうし倉賀野辺りまでの貨物だったのだろうが今となっては不明。
唯一、越前の前に5時過ぎに下ってきたのは確か。



そしてこのポイントのメインで再掲だが606レ越前。
この列車は高崎を5時26分発なので通過は30分過ぎだろう。
2列車とも、独特のC-C台車の独特なジョイント音を残して通過していった。
ロクニの時代。

1981年6月 高崎線 神保原〜新町(旧橋梁時代) EF6215 列番不明下りタンカートレイン/ EF6221 606レ越前
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ワルものだった頃のロクヨンセン

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今でこそ原色機もいて人気罐のロクヨンセン。

でもデビュー時には、EF16を駆逐した罐であり上越筋のゴハチの運用も代替していった罐。



1981年3月に訪れた上越国境にはその新鋭機がすでに幅を利かせて新国境の番人の座についていた。

そして、



長岡のゴハチの運用を代替して3604レの先頭に立つロクヨンセン。

デビュー当初は、結構嫌われ者だったロクヨンセン。

これも時代の趨勢の悪戯。


上)1981年3月 上越線 土樽付近 EF641009+EF641000重連貨物 下)EF641000 3604レ急行能登 高崎線 新町〜神保原(旧橋梁)
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BALDWIN&WHITCOMB 林鉄の幻影を求めて

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ちょっと一呼吸で。

群馬の山奥にてその復活の時を静かに待つ、オールドタイマーたち。



BALDWINとWHITCOMB。



久々に会いに行きたいと思う。


2009年10月4日 根利
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雷雨を突いてSLレトロ碓氷驀進

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以前から行きたかった吾妻線の小野上工臨を撮りに懐浪漫人さんと本日出撃。

朝一ヒガハスによってから信越線に向かう。

もちろん本日運転のD51498によるSLレトロ碓氷狙い。

上信越道に入った頃から雨が強くなって、西松井田の現地に着いた時には雷鳴も轟く状況。



これ以上天候が悪化しないことを祈りながら暫し。

雨のため靄のかかる中松井田方から煙が上がり、件の列車が現れた。


2013年8月23日 信越線 松井田〜西松井田 D51498 9135レ 
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瑞穂育む雨とDLレトロ碓氷

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結局終日雨中撮影を余儀なくされるも計画をすべてクリアにして終わる。

雷雨の吾妻線から離脱後再び信越線に。

返しのDLレトロ碓氷をたわわに育つ瑞穂前景に迎え撃つ。



瑞穂には嬉しい恵みの雨の中で、赤い罐が映える。



遠雷を聞きながら豊穣の秋にむけて成長する瑞穂を見守るように列車が過ぎ行く。

このポイントでは期せずして鉄友との出会いも。

これから一雨ごとに首を垂れてゆく瑞穂たち。


2013年8月23日 信越線 安中〜群馬八幡 9136レ DLレトロ碓氷
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ゆく夏を送る 遅めの納涼盆踊り

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今日は地元の盆踊り。

子供のころから、盆踊りというとそわそわわくわくしてしまう。

近所のかわい子ちゃんと夜会えるし浴衣の女の子はとても大人っぽく見えたりで・・・



神社の案内板で今晩行われることはチェック済みで、辺りが宵闇に迫るころ神社の境内前の広場に赴く。

提灯の明かりに浮かび上がる踊り手さんたちの手の動きに合わせながらスローシャッターを切っていく。

ドドンドドン・・・リズミカルな太鼓の音。

ゆく夏を心いくまで楽しむ。



子供たちは、傍で催される夜店の模擬店に群がりスーパーボール掬いや風船ヨーヨー釣りそれに当たりくじ、かき氷に夢中。

みんながそれを見ながら童心にかえっていた。

帰り道にそよぐ風に秋の気配を感じた。


2013年8月24日 蕨北町納涼盆踊り

ドキュメント小野上工臨 8191〜8190

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この日のメインはこの単8191から工8190までの小野上工臨を撮ることだった。

日によっては、8191もホキ付があるがこの日は送り込んである補機を出すのみの片道。

まず、渋川方から単機でDD51888がやってくる。



雷雨に煙る中鉄橋を渡る888号機。



到着した罐はすぐさまホキの居る側線へ転線。
誘導員を乗せてソロリソロリ30m・・・20m、ヨワヨワ・・・
連結が済むと、下り方本線進入確認を取る。



重い砂利積載のホキ押し出しはさすがのDD51も2200PSを唸らせる。



そして上り構内へ進入。



こうして工8190レが仕立て上がった。



即座に小野上駅を出て、工8190レを撮るポイントへ移動するが・・・
並行する国道で雨の影響もあって交通事故が発生、進行を妨げられたため撮影ポイントを変更。



何とかトンネル飛び出しを撮ることができたのだった。
雷鳴轟く中たっぷりとDD51の入れ替え作業を堪能し、工臨走行までいただけたのだった。
次回は、ホキの送り込みの日に再訪したい。

2013年8月23日 吾妻線小野上工臨 単8191レ〜工8190レ DD51888+ホキ800×7
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19万IP御礼

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本日皆様のお蔭をもちましてご訪問IP数が19万を超えました。

ブログ立ち上げ後数度のPCクラッシュに見舞われたりと、この3年9か月は様々な険しい道ではありましたが何とか続けてこられました。

これからも皆様の叱咤激励を糧としてアップし続ける所存でございますので何卒ご贔屓のほど今後もよろしくお願い申し上げます。

19万IPに因んで狂電関人の所以の罐EF58の19号機をアップいたします。

2013年8月 狂電関人 拝



1978年1月、すでに山陽ブルトレ仕業も晩年を迎えていたころの1枚。
おそらくコマの流れから、東京ブルが上った後の山陽ブル立ち上がり時間の42レ、26レ、206レのどれかである。

1978年1月2日 山陽本線下関駅 EF5819号機(広) TXをASA約3200まで増感しその後補感処理追加。

夕闇迫るオカポン 211系925M快走

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金曜日の撮影の殿は、211系。

一度先頭車部分を流したいと思っていたので、悪天候を利用して・・・



流石に雨の夕暮れ時は暗く、ISO800でも1/30Sec. f6.3。

何とか生けるコマは2コマのみ。



2013年8月23日 高崎線 岡部〜本庄 211系 925M
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憧れの最北の地 稚内 36年前の渡道記

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雷雨の夜、高架駅工事真っ盛りの札幌駅から急行利尻に乗車。

すでに渡道後数日過ぎていたのでかなり早いうちに眠りに落ちたようで夜の記憶はそんなに無い。

翌日目が覚めたのは、カンカンとスチーム暖房が入る音だった。

8月9日という夏の真っ盛りに暖房が入る。そうここは日本最北端。



着いた稚内駅の構内があまりに狭く単純なのに意欲をそがれてその日の折り返しの利尻までの計画を練る。
まずは駅周辺の散策だがどうも知識不足で最初に向かったのは駅の背後にある丘の上の稚内公園。
そこからは稚内の港が一望できた。
写真向かって右、防波堤の途中膨らんで見えるのがかつて樺太が日本だった時代にその定期航路が出入港していた稚内桟橋駅の
跡地であり、その後ひと時ここに稚内駅があった時代もあるよう。
今ドームの前広場にC5549号機が展示保存されていたが塩害により数年前に解体されたと聞く。



しばらく稚内公園からの眺めを楽しんでいたら、おそらく礼文・利尻島への連絡船かと思われる客船が朝日で黄金色に染まる
北の果ての海を横切って行った。
宗谷岬の最北端の地へはバス路線があるが、便数が乏しくほとんどその日1日を現地で過ごすはめに。
夏とはいえ北の日暮れは早く、帰りのバスに揺られながら落日を見た。



そのスケールは今までに見た夕暮れとは違う壮大なものだった。

天北線、興浜南北線それに宗谷本線で全く撮影をしなかった北の最果て行は今となってはとても悔いが残ることとなる。


1977年8月9日 稚内にて



6M6Tの栄光 35M 581系なは 

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昭和50年3月の改正で、昼行特急から夜行特急に変わった特急なは。

DC特急に始まり、481系から581系へそして24系25型と4度の使用車両変更があった稀有な列車。

その編成美を捉えた1枚で、関西夜行は走行距離から大半は食堂車を営業していなかった。

それでもシとロザが入ったフル編成は良かった。



3段寝台の構造から屋根高でずんぐりした車体はなんといっても10輌以上繋がっていないと絵にならなかった。

無論今となってはその希少価値から編成の言及などしてられないのだが。


1977年7月 鹿児島本線 東郷〜福間 35M なは
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九州赤ベコにぞっこん(53)珍しい大分運用

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撮った時にはさほど思わなかったのだけど、

珍しくも大分の罐が鹿児島本線に入っていた。

電関人が記憶する限りにおいては、日豊本線の大分罐と、鹿児島本線の門司罐、鹿児島罐は完全に区別されていた。

しかも、この写真をよく見ていただくとキハ28と17の2両の甲種(配給?)である。

この大分の20番台菱形パンタ機を鹿児島本線上で撮ったのはこれが最初で最後。



1976年7月3日 鹿児島本線 博多駅 ED7626甲種(配給)回送
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