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Channel: 狂電関人の写真庫
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ブラックマンモス EH10

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19870年代から1980年代にかけてある意味好対照だった2機のマンモス電機。

一方では流線型で華やかなF級機ロクロクに、他方無骨で実用重視のH級機のEH10。



その山陽路、東海道を力を持て余しながら闊歩するブラックマンモスには哀愁が漂っていた。

こいつが青い車体でHMも誇らしげに旅客列車を牽いていたらと思うと・・・。


1980年3月 東海道本線 山崎〜向日町 EH1034 貨物列車(列番不明)
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鉄道の街 鳥栖1976

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鹿児島本線の駅として、長崎本線の分岐点としてそして久大本線の発駅として栄えてきた鳥栖駅。

鳥栖駅といえば、ドイツ ドルトムントのUNION社 1889年製 レール。



この駅の主的存在。

そして、大きな給炭塔設備。



九州の無煙化直後の76年で、給炭塔は未だ現役のようにその矍鑠とした姿で周りに控える機関車たちを見下ろしていた。

セキがピットに荷卸しした石炭を自動で掬い給炭塔に積み上げるこの巨大な設備には、かつて在籍していたC55、C57、C59、C60、C61
といった歴代の急客機たちが面倒を見てもらっていたのであろう。

陽が大きく西に傾くころ、当駅始発の久大本線の下り列車が忙しく荷積み作業中でここにもう一つの鳥栖の顔であるキユニ16 1が居た。



幹線、亜幹線ともにまだまだ生活路線として活躍していた証。
久大本線のすべての列車がユニ付だった頃。

鉄道の街 鳥栖が健全に活動していた時代。


1976年5月6日 鹿児島本線 鳥栖駅
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秋の夕暮れの8009レ遊び

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明日から9月。

タイトル通り秋になると8009レが下る頃の光線が一際きれいになる。

そろそろ8009レ遊びを再開。



E26の車体は、穂波に映える。



うっすら東の空が色づく中、下る青罐が引き立つ。


上)2012年8月26日 東北本線 東大宮〜蓮田 EF510515(再掲)、下)2012年9月15日 東北本線 赤羽〜浦和 EF510504(再掲)
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神奈川臨海鉄道初詣

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今日は以前から行ってみたかった神奈川臨海鉄道へ初詣。

同趣味の知り合いから今日赤いDD5516が銀座線新車を牽く情報をいただき、
台風情報と1週間にらめっこしながら今日目出度く快晴の川崎貨物駅傍にて初撮影を敢行。
場所を譲っていただきました皆様のお蔭でいい写真が撮ることができました。



2013年9月1日 神奈川臨海鉄道 9201レ DD5516+銀座線1000系
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チキタキ貨物 東海道を上る

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神奈川臨海鉄道を初めて詣でた昨日、もう一つの情報が舞い込んできていた。

横田基地で使用するジェット機の燃料輸送専用のタキ最終ロットがこの日東海道を上るとの情報である。

しかもこれと一緒に、遥々九州から新幹線用のレールもチキに載せられて上京するとの由。

これは貨物好きとして是是非非カメラに押さねばと、炎天下一路石橋の鉄橋を目指す。



ここ石橋鉄橋の件の列車の通過時間は17時少し前で、山の端に太陽がぎりぎりかかる時間帯。
しかもこの日は前線の南下に伴いこのエリアでも15時ころには曇りの予報。
そして通過直前には雲に隠れてそのまま山の向こうに隠れてしまうであろう太陽だったのだが・・・
写真の通り奇跡的に通過時間だけ雲間からの光線が鉄橋を照らしたのであった。

九州積みといわれるレール三段積みのチキと見えないけどJP8の横田基地ジェット燃料タキ独自の表記を付けた新車6両が、
これまたうれしい原色のEF641019号機に牽かれて上っていく。


2013年9月1日 東海道本線 根府川〜早川 EF641019号機 8862レ 九州チキ1ユニット+タキ1000(JP8)×6
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キハ45000という形式

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DMH17エンジンと液体式変速機の組み合わせで初めて量産された形式で、

のちのキハ17形式はその後のディーゼル車両の祖となった。

しかし、その存在は以外と地味で旧型国電のようなファンはいなかったと思う。

その後のキハ20系統に比べると胴回りが一回り細くバス窓の出で立ちに車内灯は白熱灯でそのレトロ感が特徴で、

炭鉱町筑豊の栄枯盛衰を見てきた同形式が、客車とともに蒸機亡き後同地区の忘れ形見のように思えた。



一般型気動車が朱色一色にされるまでの合間にかなり熱を入れて追いかけた形式である。


1976年11月18日 鹿児島本線 南福岡〜白木原 347D(?)佐賀行 キハ17×3+キハ55+キハ17+キハ20
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バス窓繋がり キハ55

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タイトル通り、昨日のキハ17にバス窓繋がり第1弾で、キハ55初期ロットを。

写真は、日田彦山線と久大本線が交わる夜明駅手前のポイント。

高校入ってすぐに腕木式信号機やDE10の客レ、キユニ16などを撮りに出かけた際のカット。

すでに準急という種別の列車は国鉄上から無くなっていたが、まさにそれというキハ55+キハ55+キハ26+キハ55という編成。

しかも繋がっているすべてのキハ55は初期のロットでバス窓の下に木枠の窓が備わったタイプであった。



流石に山線らしくキハ55が3両もつながる勇ましい編成で九州の真ん中の山塊を駆け上がっていく。


1977年5月 日田彦山線 今山〜夜明
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不揃いの美学 347D 豊穣の筑紫野を駆ける

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キハネタが続く。

一昨日アップしたのと同じ夕方の佐賀行347D。



自身が高校時代後半戦、鹿児島本線の好んでとった被写体のひとつだった。

かなり朱一色車が増えてきた頃であり電関人としては嫌いな朱一色であったが、同時にキハ10系が風前の灯火だったため我慢の撮影。

この日は最後尾に珍しくキハ10が入ったのが嬉しかった。

後ろからキハ10、キハ26、キハ20、キハ17、キハ35、キハ35。

1977年10月 鹿児島本線 水城〜二日市 347D
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凍える蟹田 盲腸線時代の津軽線

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青函トンネル開通前の一ローカル線時代の津軽線に一度乗車した。

確か東北ワイド周遊券で行けたのが蟹田までだったのか、この駅で折り返している。



春だというのに鉛色の雲が低く垂れこめ横殴りの雪が時折強く降る。

駅も線路も凍える本州最果ての盲腸線、津軽線にはキハ22が良く似合う。


1981年3月某日 津軽線蟹田 キハ22ほか
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凍りつく海岸線とコバルトブルーの海 五能線冬の章

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このところ壺に入り気動車シリーズが続く。

憧れの景色の一つ、「冬の日本海と対峙する五能線」。

これは学生時代から始まり、これから先も半ば人生のテーマになりつつある。



この1月、30年ぶりに再訪した彼の地はさほど変わりなく、

さらに写欲を煽られる絶景が残っていた。


1983年2月 五能線 大戸瀬〜風合瀬
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キハ17 スレンダーなサイドビュー

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まだまだ続くキハネタ。

前回述べたとおり、10系は胴の断面が狭小でその分サイドビューはスレンダーな印象である。

がゆえ、ドアステップ部の段下がりが目立つのが特徴。



シングルエンジン車でもすべてこの形式族はセンターに排気管がある。

このクルマたちが織り成す編成の凸凹感が、旧型国電とは違った気動車一般型ならではの味になっていて好きだった。


1979年 鹿児島本線 南福岡〜白木原 347D
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サンダーバード博へ行く

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サンダーバードと言っても電車ではなく、電関人が子供のころ放送されたイギリス制作の人形劇のテレビ放送である。



実物の人間の1/3サイズの操り人形を使ったSF劇である程度の年齢以上の方なら大半は知っている超人気人形劇TV番組。



1号から5号のメカを兄弟が操って世界の平和と安全を守るストーリーなのだが、その出てくるメカにはまったものだった。

特に電関人が気に入っていたのがサンダーバード2号でお腹のコンテナに様々な装備を搭載して救助に当たるのだが、
その装備の斬新さに子供ながら驚かされ、惹きつけられた。



リゾートアイランドに仕組まれたそれぞれのメカの巧みな格納施設もそれまでの日本の漫画などにはない設定で新鮮だった。



そして、様々な特撮シーンを駆使して人形劇ではありながら迫真のシーンの連続に息をのむ。

幼少の電関人が最も嵌ったのがよりリアルさを追求したメカなどのウェザリング(汚し)の巧妙さだった。
その妥協を許さないシーン作りだったからこそ不朽の名作になったのだろう。



もう一つ、メカとは一線を画するこのペネロープ号ことFAB-1。
実在のメーカーと真剣にデザイン開発を行ったという肝いり6輪車。
きっと今の若い世代も好きになるであろうサンダーバードが詳しくわかる展示会。

そんなサンダーバード博が日本科学未来館で今月23日まで行われている。

雨の日の卓上鉄道遊び

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別にネタがなくなったわけではなく。

午前中からサンダーバード博に行き、夕練しようかと思うも雨が強くなり、それじゃあ以前からやろうと考えていた

卓上鉄道遊びを少し。



まだ構想中で、定まらない部分が多いのだが背景なんかも用意して真剣に作りこむのではなく雰囲気をどう出せるかが勝負。

とりあえず思うが儘やってみたが、手前の機関庫辺りは及第点。

雨の日の卓上鉄道遊び。


これからたまーーーーにやることに決定!


2013年9月8日 ゴハチがいっぱいの機関区にて。
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脇役の肖像 421系初期ロット

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今でこそ115系をありがたく撮影しているけど、当時の普電は脇役中の脇役でほとんどその姿を捉えていない。

ファーストナンバーだったり、淘汰寸前の初期ロット車ということでかろうじてネガ上に結像された脇役の421系初期ロットの肖像。



中坊時代、OM-1購入間もないころの電関人が構図も何もなくとらえたA-1編成のクハ421-1。
すでに貫通扉の裾が朽ちかけている。



栄光のファーストナンバーだが経年劣化と、スト明けで車体が汚い。



こちらは、さらに時代が進んだ78年の博多駅7・8番ホーム。

8番線にはA-4編成なのでクハ421-7か?隣の7番線には篠栗線のDC列車、さらに6番線には急行ぎんなんが止まっている。

午前10時半を回って朝のブルトレラッシュが終わった博多駅の日常風景。


上・中)1976年4月23日 鹿児島本線博多駅3番線 クハ421-1 、下)1978年6月 博多駅 クハ421-7他
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名山とそよかぜ 二題

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暑い夏が蝉時雨とともに終わりを告げようとしている。

ここ数日の風は、そよかぜを思わせるさわやかさである。

昨年のこの時期にリバイバル列車で、2本のそよかぜ号が走った。

それぞれのそよかぜ号を名山とともにカメラに収めた二枚。



1枚目は、コスモスが咲く沿線を峠の駅から下ってきた回送そよかぜを雄大な山容の妙義山とともに。
すっかり定着した国鉄特急色の157ならぬ185系そよかぜ。



そしてもう1枚は、女性的な稜線が魅力的な活火山浅間山をバックに名勝地を駆け抜ける本家183系そよかぜ。
とはいうもののしなの鉄道の線路ではあるが・・・。

どちらもお気に入りの撮影地で信越本線全盛期を彷彿させるそよかぜの競演をもう一度見たいものだ。

2012年9月8日 上)信越本線 横川〜西松井田 185系 回9126Mそよかぜ 下)しなの鉄道 追分〜御代田 189系 9605Mそよかぜ
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特急王国近鉄 番外編 奈良電デハボ1200

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昨日、鉄先輩であるcedarさんブログに登場した近鉄特急680形。

その元奈良電鉄デハボ1200形のなれの果て(とはいうものの結構原形をとどめている)写真を。



肝心のデハボがではなくクハボ(または電制解除)のようですが、車番も種車に近い1322を纏っている。

これは塒の高安車庫へ回送されてきた鮮魚列車である。

まだ中坊になりたての電関人の目にも明らかにほかの近鉄車両とは一線を画するものが感じられてシャッターを切っていた。



新聞に掲載された往年のスタイルとは、塗装と屋根形状(のち貼り上げ化)が違うくらいか?

このクルマは、当時の近鉄特急塗り分けよりこの京阪チックな塗装の方がはるかに似合う。


1976年春? 近鉄大阪線 高安駅 クハ1322?
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安堵の瞬間 1レ仕業の終わり

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1,000?の仕業を終えて罐が客車から離れるとき、今日も無事に1レの仕業が終わるという安堵の瞬間。



フレトラ専用機は、最後にブルトレ運用の大役を担った。

栄光の「関」の区名札と流れ星の勲章を付けて・・・。


2005年4月14日 山陽本線 下関駅 EF6650号機 1レはやぶさ・富士
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届いた悲しく寂しい知らせ オリンパス一眼レフ撤退

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想定はしていたものの、それはついに現実のこととなってしまった。

頑なに守り続けてきたフォーサーズ方式一眼レフの歴史にとうとう幕が下りる時が来た。



悲しく、寂しい知らせを胸に電関人はしばらく愛しいOLYMPUSの一眼レフで鐵を続けていく。

電関人は、PEN EE〜PEN F〜OM-1・・・E-300〜E-30〜E-5というキャリアを持つ筋金入りのOLYMPUS党なのだから。


2013年 長月

急行通過

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JR線区においては、ごく一部を除いてこの表現は使えなくなってしまった。



木の温もりのある駅舎。

格子窓の向こうを急行列車が通過していく、昭和の日常風景。


1977年12月晦日 山陰本線 居組駅
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倅よ、あれがPFだ。 

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電関人も童心に帰ることができるのが機関区。

そんな田端区のある日のカット。



親子連れが機関車を眺めている。

倅よ、あれがPFだ。といったかどうかは定かでないが・・・
この国で、最大勢力を誇った万能機EF65の完成形PF。

君が大きくなるまで待ってるよ!と短笛一声出区していく。


2010年11月13日 田端運転所にて EF651107
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