眠る急客機たち
9年前の夏、久々に訪れた梅小路。昔と変わらず、本線を彩ってきた名機たちは静かに休んでいた。※ ちょっと千葉の出城に行ってくるので2、3日更新が途絶えます。 2009年 葉月 梅小路
View Article非電化を流離う2 水無月の章一八 春採の休日
4日目の朝、やや寝坊してホテルを出発し糸魚沢方面を目指す。が、途中でコンビニに寄ろうとしたら目の前にホッパー車が連なるのが見えて暫し撮影タイム。休日のため、構内は静まり返るが現役で操業する炭鉱鉄道の威風たるや十分。DD13タイプの2色の機関車がプッシュプルに先頭と殿を固め長く連なるホッパー車は壮観。静まり返った選炭プラントはむしろ凜として見えた。2018年水無月 春採 D5
View Article非電化を流離う2 水無月の章二十 蕗野を駆けて
北の大地に夢を掛けて入植した屯田の民。民の生活を支えんがため敷かれていった鉄路の多くは、再びコロボックルの住む自然の大地に還っていった。道内東の端に伸びる鉄路はコロボックルの住む蕗野と隣り合わせに今日も定時で、一駅一駅丁寧に乗客を拾いか細い線路を走っていく。2018年水無月 尾幌 D5
View Articleデデゴイのうた 闊歩する長編成長距離鈍行
電関人が写真修業の場を山陰本線に求めていた時代。824レをはじめ、長編成の長距離鈍行列車が数多存在していた。宿代わりの「山陰」号など、ワイド周遊券片手にフリーハンドの旅行が楽しめた佳き時代。雨上がりの餘部駅で乗客を拾って、エグゾースト高らかに鉄橋を渡っていく大阪行。人も物も、生活自体を運んでいた列車。1978年冬 餘部 TX
View Article夏の終わりのハドソン
11年夏、ハドソンに逢いたくて水上へ行った。C62には劣るもその存在感たるや威風堂々。傷ついたココロを力強く癒すように、災害で疲弊した国土を励ます如く、しっかりと蹴り進んでいく。2011年晩夏 水上 E5
View Articleデデゴイのうた 出発仕度
11月とはいえ冷たい雨が落ちる中、濛々と立ち上がるスチーム。蒸機ほどではないまでも、電機に比べ遥かに取回しが大変だったDD。SG車であれば尚のこと。ホームに取り付けられた客レに、ゆっくりと繋がれるDD。発車の仕度は着々進んでいく。途中駅でSGの給水を行う。長い編成の隅々まで暖房を通すには、相当な水を使うのだろう。1981年秋 米子/鳥取 TX
View Article風立ちぬ わが青春の特急型電車
思い起こせば、ボンネット型に代わって一世を風靡したフォルムで、自身の鉄道写真人生にオーバーラップする形式の一つ。そのデザインにもまもなく終止符が打たれようとしている。秋の高原に出たてのススキ穂を揺らし、まさしく「そよかぜ」の如く颯爽と走りゆく姿に有終の栄光美を感じた。2012年 9月 しな鉄 平原 E5
View Article黄昏カシオペア
自身、フルサイズデジタル一眼レフ購入後初のカシオペア。この年最後の残照に染まる銀一色の編成は美しかった。つい先日ミラーレス一眼をNikonが発表したが、電関人は、この美しさを捉えたとき同様にオプチカルで写真を撮り続けることだろう。2013年大晦日 8011レ
View Article石炭産業の残照
九州の炭鉱として最後まで操業していた大牟田の三井三池鉱。自身の幼少期には数多存在した石炭列車も年追うごとに減って行き・・・最後に見た九州型セラ車のみによる専用列車。北九州工業地帯からの返空列車。1978年1月 鹿児島本線多々良川橋梁
View Article華奢なセイジクリーム
学生時代だった1980年代前半は、辛うじて地方交通線が最後の輝きを残していた時代だった。熊谷から出ていたもう一つの鉄道、東武熊谷線。本線電車と同じ色を纏った華奢な気動車が4駅の間を行き来していた。1981年?秋 東武熊谷線
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