キハ35が居た風景 -2- 北限のキハ35 磐越西線
電関人が知る限り磐越西線で見かけたキハ35が北限かと思う。越後線や弥彦線で使われていたので、その間合い運用で磐西に顔を出していたのかと思う。こんな雪国で、3扉のキハ35は寒いだろうなと思ったことをよく覚えている。しかも、前面を補強された不細工な顔。シャッタータイミングが悪く、人物と被っているのは若気のご愛敬で・・・。1981年3月 磐越西線 徳沢駅...
View Article九州赤べこにぞっこん(60) ED76P牽引 102レかいもん4号
電関人が本格的に撮影を始めたのは50年3月改正後。ゴーマルサン改正で、本州連絡夜行急行から旧客が撤退し身近に撮影できる旧客による急行列車は数少なくなった。その中でも一番身近な存在がこの102レかいもん4号。ことさら嬉しいのは、ナナロクP型の1000番代がその運用に入るとき。GWで終わったばかりの春闘のスローガンの文字跡が時代をしのばせる。1976年5月2日 鹿児島本線 水城〜白木原...
View Article筑肥線の思い出 天秤棒の女(ひと)
筑肥線の思い出繋がりでもう1枚。博多駅の筑肥線ホームである1番線にて、行商帰りの天秤棒を担ぐ女の人。きっと朝一番の列車で、唐津方面から玄界灘の魚をぎっしりと天秤棒の先のかごに入れて福岡の街中で行商を終えた帰り道だろう。こんなスタイルの商売もめっきり平成の世では見なくなてしまった。1976年4月23日 筑肥線博多駅1番ホームにて...
View Article峠越え
七谷から加茂方面に向かって山間をゆく蒲原鉄道。全線に2か所のトンネルがあるうちの一つが土倉と冬鳥越の間にある。この区間が蒲原鉄道でも一番の隘路となる。田園の広々とした区間と好対照の沿線景観を持つこの辺はもう一つの顔である。1982年2月 蒲原鉄道 土倉〜冬鳥越※励みになりますので、左のにほんブログ村鉄道写真ボタンをポチッとよろしくお願いいたします。
View Article凍える朝 蒲原鉄道 駒岡
川沿いの小さな駅、駒岡。その雪晴れの冷え込んだ朝、2連の通勤通学列車が行く。降ったばかりの雪はキラキラ輝き鮮やかに雪化粧した林が目に眩しい。凍える空気の朝、絶好のシャッターチャンス。1982年2月 蒲原鉄道駒岡付近※励みになりますので左のにほんブログ村鉄道写真ボタンをポチッとよろしくお願いいたします。
View Article波間のキハ22 五能線冬紀行
ちょっとスキャンが悪いけれど、冬の五能線の一齣。大戸瀬〜風合瀬の区間で海岸線をトレースする区間である。入り組んだ地形で、まるで波間に浮かぶキハ22のよう。車両が小さすぎて分からないご仁には失敬。1983年2月 五能線 大戸瀬〜風合瀬※励みになりますので、左のにほんブログ村鉄道写真ボタンをポチッとよろしくお願いいたします。
View ArticleDE15 2号機 回送ゆうづる
2度目の青森駅に降り立ったのは81年3月のこと。すでに終着列車の回送機関車はDD13から代わっていた。この年は雪が少ないせいか、ラッセルヘッドを外したDE152号機が入れ替え運用に用立てられていた。電関人はまだ一度もラッセルや特雪の活躍する姿をカメラに収めた事が無い。1981年3月 青森駅 DE15 2号機...
View Article黄昏時の川崎貨物
師も走る師走はさすがに忙しい。ようやく2回目の鉄は既に20日過ぎで、今日は神奈川方面にRDP3氏と出撃。締めは、先日行って味を占めた川崎貨物。黄昏時の広大なヤードを独りDD601がいくつものポイントを踏んで転線していく。2013年12月21日 神奈川臨海鉄道 川崎貨物※励みになりますので、左のにほんブログ村鉄道写真ボタンをポチッとよろしくお願いいたします。
View ArticleBLUE SKY BLUE LOCO
昨日鉄のお題は大きくは2つ。この大宮工場を出場して間もない広島更新機の1046号機とEF200のタキ。ご覧のように、鶴見川では首尾よく行ったがその後、コイツの2発目とEF200は撃沈し再履修決定。2013年12月21日 品鶴線 新鶴見〜鶴見 EF641046号機 8760レ ※励みになりますので左のにほんブログ村鉄道写真ボタンをポチッとよろしくお願いいたします。
View Article静寂の庫 石岡
関東の地方交通の中でも、その沿線風景に魅せられもっとも通った鹿島鉄道。名称は、関東鉄道鉾田線の方がしっくりくる電関人にとってそのカラリングもオレンジにクリームのツートンだったが、晩年はすっかりカラーも塗り替えられて。この日は、二枚窓の湘南フェイスもキハ07改造の601形も庫でひっそりと休む。宵闇に包まれ、静まり返った庫が印象的だった。2006年5月5日 鹿島鉄道...
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