ブラックマンモス EH10
19870年代から1980年代にかけてある意味好対照だった2機のマンモス電機。一方では流線型で華やかなF級機ロクロクに、他方無骨で実用重視のH級機のEH10。その山陽路、東海道を力を持て余しながら闊歩するブラックマンモスには哀愁が漂っていた。こいつが青い車体でHMも誇らしげに旅客列車を牽いていたらと思うと・・・。1980年3月 東海道本線 山崎〜向日町 EH1034...
View Article鉄道の街 鳥栖1976
鹿児島本線の駅として、長崎本線の分岐点としてそして久大本線の発駅として栄えてきた鳥栖駅。鳥栖駅といえば、ドイツ ドルトムントのUNION社 1889年製...
View Article秋の夕暮れの8009レ遊び
明日から9月。タイトル通り秋になると8009レが下る頃の光線が一際きれいになる。そろそろ8009レ遊びを再開。E26の車体は、穂波に映える。うっすら東の空が色づく中、下る青罐が引き立つ。上)2012年8月26日 東北本線 東大宮〜蓮田 EF510515(再掲)、下)2012年9月15日 東北本線 赤羽〜浦和...
View Article神奈川臨海鉄道初詣
今日は以前から行ってみたかった神奈川臨海鉄道へ初詣。同趣味の知り合いから今日赤いDD5516が銀座線新車を牽く情報をいただき、台風情報と1週間にらめっこしながら今日目出度く快晴の川崎貨物駅傍にて初撮影を敢行。場所を譲っていただきました皆様のお蔭でいい写真が撮ることができました。2013年9月1日 神奈川臨海鉄道 9201レ...
View Article不揃いの美学 347D 豊穣の筑紫野を駆ける
キハネタが続く。一昨日アップしたのと同じ夕方の佐賀行347D。自身が高校時代後半戦、鹿児島本線の好んでとった被写体のひとつだった。かなり朱一色車が増えてきた頃であり電関人としては嫌いな朱一色であったが、同時にキハ10系が風前の灯火だったため我慢の撮影。この日は最後尾に珍しくキハ10が入ったのが嬉しかった。後ろからキハ10、キハ26、キハ20、キハ17、キハ35、キハ35。1977年10月...
View Article凍える蟹田 盲腸線時代の津軽線
青函トンネル開通前の一ローカル線時代の津軽線に一度乗車した。確か東北ワイド周遊券で行けたのが蟹田までだったのか、この駅で折り返している。春だというのに鉛色の雲が低く垂れこめ横殴りの雪が時折強く降る。駅も線路も凍える本州最果ての盲腸線、津軽線にはキハ22が良く似合う。1981年3月某日 津軽線蟹田 キハ22ほか※励みになりますので、左のにほんブログ村鉄道写真ボタンをポチッとよろしくお願いします。
View Article凍りつく海岸線とコバルトブルーの海 五能線冬の章
このところ壺に入り気動車シリーズが続く。憧れの景色の一つ、「冬の日本海と対峙する五能線」。これは学生時代から始まり、これから先も半ば人生のテーマになりつつある。この1月、30年ぶりに再訪した彼の地はさほど変わりなく、さらに写欲を煽られる絶景が残っていた。1983年2月 五能線 大戸瀬〜風合瀬※励みになりますので、左のにほんブログ村鉄道写真ボタンをポチッとよろしくお願いします。
View Articleキハ17 スレンダーなサイドビュー
まだまだ続くキハネタ。前回述べたとおり、10系は胴の断面が狭小でその分サイドビューはスレンダーな印象である。がゆえ、ドアステップ部の段下がりが目立つのが特徴。シングルエンジン車でもすべてこの形式族はセンターに排気管がある。このクルマたちが織り成す編成の凸凹感が、旧型国電とは違った気動車一般型ならではの味になっていて好きだった。1979年 鹿児島本線 南福岡〜白木原...
View Article安堵の瞬間 1レ仕業の終わり
1,000?の仕業を終えて罐が客車から離れるとき、今日も無事に1レの仕業が終わるという安堵の瞬間。フレトラ専用機は、最後にブルトレ運用の大役を担った。栄光の「関」の区名札と流れ星の勲章を付けて・・・。2005年4月14日 山陽本線 下関駅 EF6650号機 1レはやぶさ・富士※励みになりますので、左上のにほんブログ村鉄道写真ボタンをポチッとよろしくお願いします。
View Article届いた悲しく寂しい知らせ オリンパス一眼レフ撤退
想定はしていたものの、それはついに現実のこととなってしまった。頑なに守り続けてきたフォーサーズ方式一眼レフの歴史にとうとう幕が下りる時が来た。悲しく、寂しい知らせを胸に電関人はしばらく愛しいOLYMPUSの一眼レフで鐵を続けていく。電関人は、PEN EE〜PEN F〜OM-1・・・E-300〜E-30〜E-5というキャリアを持つ筋金入りのOLYMPUS党なのだから。2013年 長月
View Article急行通過
JR線区においては、ごく一部を除いてこの表現は使えなくなってしまった。木の温もりのある駅舎。格子窓の向こうを急行列車が通過していく、昭和の日常風景。1977年12月晦日 山陰本線 居組駅※励みになりますので、左のにほんブログ村鉄道写真ボタンをポチッとよろしくお願いします。
View Article倅よ、あれがPFだ。
電関人も童心に帰ることができるのが機関区。そんな田端区のある日のカット。親子連れが機関車を眺めている。倅よ、あれがPFだ。といったかどうかは定かでないが・・・この国で、最大勢力を誇った万能機EF65の完成形PF。君が大きくなるまで待ってるよ!と短笛一声出区していく。2010年11月13日 田端運転所にて...
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